お金とは

お金は、経済の潤滑油である。

お金の役割りについては『金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った』の著者である安部芳裕さんの言葉を借りれば、お金の三大機能とは大きく分けて下記の三つになります。
①交換の媒介物
②価値の尺度となるもの
③価値の貯蔵手段

お金が流通する世界である経済の概念を簡単に説明すれば次の様になります。

経済とは
・資源配分方法の仕組み。
・需要と供給の如何にしてバランスを取るための仕組み。
・完全雇用を成し遂げるための仕組み。

また、経済は「実物経済」と「金融経済の世界」に別けられます。

1.実物経済の世界
①ミクロ経済学=価格の役割の研究
経済では生産物が売れ残り無く品不足もなく最適に配分されると私達の暮らしが良くなっていると判断する。需要と供給のバランスのこと。今までは通貨がその役割をしたと考えられている。品不足になれば価格が上がり需要を抑え、過剰生産になれば価格が下がり需要を産むという感じ。
②マクロ経済学=社会全体の経済量を見る研究
需要と供給の如何にしてバランスをとり需要と供給の均衡状態を創ることを目指す。
完全雇用と価格の安定が目的

2.金融経済の世界
マネーサプライとデリバティブの世界
①実物経済に対しお金を供給する仕組み
②お金がお金を生むマネーゲームの存在

これらは、現在世の中に受け入れられているシステムの中のお金という機能です。
では、人々は、このシステムをどのように認識し受け入れているかの意識の部分を解明してゆくと次の様になります。

【人はお金をどう定義しているか】

1.自分のお金とは何でしょうか?
  ・自分の財布に入っているお金
  ・自分の家の貯金箱や引き出しに入れてある現金
  ・自分名義の銀行口座に預金してあるお金や保険会社、証券会社に預けてあるお金
※これらを総称して自分のお金と言っていると思います。

2.あなたの家族のお金とは何でしょうか?
  ・自分のお金+家族それぞれの名義の銀行口座や金融機関に預金してあるお金

※ここでもしあなたの家族の間でお金が移動したとしたらどうでしょうか?
自分のお金を配偶者や親、子供の名義移し替えるということです。仮に自分の知らない間にそうなっていたとしてもそれほど大きな抵抗感を持つ方は少ないでしょう。

3.あなたの親戚縁者のお金とはなんでしょうか?
  ・あなたの家族のお金と親戚縁者一つ一つの家族のお金の総合計

※この親戚縁者間でのお金の移動に関しては、自分の家族内でのお金の移動の時よりも多少の抵抗感が出てくるのではないでしょうか。しかしまだ許せる範囲であることが多いです。

4.「あなたの町のお金」という概念を作ったとします。
これはあなたが住む町に暮らす家族たちを一まとめにしてグループ化かした町という集団です。ここに住む各家族のお金を全て集め、それを「町のお金」とするのです。町のお金と言うことで一つの単位にまとまってますが、もしこの町の中の家族間で、自分の知らない間にお金が移動したとすると結構抵抗感は増すことになるでしょう。

5.同じように、「市のお金」を作ります。
市の中に集まった「町のお金」を全部合わせて市のお金とします。

※このレベルになると全てのお金が同じ貯金箱に入っていたとしても、とても自分のものと思えなければ、自分と全く関係の無い他人のものであるという感情にもなれず、複雑な気持ちになるでしょう。

6.更に同じように、都道府県のお金を作ります。

7.いよいよ日本国を総まとめにして、日本国のお金ということで全てを一括りにします。

※今ここで伝えようとしている概念とはちょっと違いますが一般的に、「日本国のお金=国民総資産」という言い方をしています。

このように、1から順番に見て行くと、人は意識の中でどこのステージで自分のお金と人のお金の区別をし始めるかがよく分かってきます。更にこのグループの括りも地域で区切るのではなく会社や仲間、一緒に活動する人達の間柄でまとめることも出来ます。

会社や仲間は、自分と近い関係の人達の集まりで、この間柄での金の移動には、国レベルの時ほど違和感が少なくなるのは皆さんも感じられると思います。反対にお金の移動先が見知らぬ人で、自分とは遠ければ遠いほどそこに金を持って行かれると違和感が湧きます。仮にそれが、同じ貯金箱、同じ財布のグループであったとしても違和感を持つのです。自分が知らない間に勝手にお金が別の人のところに渡ることを泥棒といいますが、それが同じ家族内では泥棒と言いません。大して腹も立たないでしょう。

自分と他人との一線をどこで引くかによって、お金の移動に対する人々の意識はこうも変わってくるのです。逆に言えばそれほど『自分のお金』という定義は、意識的、感情的な面では曖昧なのです。

しかし、一旦、法律という形で定義されれば、国にお金を渡すことになっても文句を言わないだけでなく、そのお金を国の誰がどのように使うかを明確に知らなくても、ただただ出し続けています。

これは、先ほどの説明で言う個人を集まりである「国」の中でのお金の移動と同じになります。つまり筋が通っていれば、お金が移動するグループの枠が大きくなっても、人は文句を言わないということです。

では、この家庭内でのお金の移動と国レベルになった状態でのお金の移動に違いはあるのでしょうか。全く違いはありません。

違いを感じるのは、人々の認識や固定観念から生まれた感情であってそれ以上でもそれ以下でもないのです。

つまり、今の社会のシステムと慣習によって出来上がった感情が、現在のシステムを今も継続させている原動力になってるといえます。

私は、社会を動かすのは、社会の構造(システム)か人の認識と感情なのかと問われれば、間髪を入れず「人の認識と感情が社会を創っている」と答えます。

もし、本当にそうであるのならば、ここに全くの新しい社会システムを創り上げ、それが人々に理解出来て納得出来るものであったなら、どのようなシステムにも人は順応出来るはずであるということが、この人々の認識の基本構造をみていると判ってきます。

ならば尚更のこと、永続可能な、100年経っても1000年の期間を繰り返しても、エントロピーの増大しない、負荷の生じない社会システムのモデルを提唱して、それを多くの人々に知って頂くことが大切になってきます。なぜなら筋が通れば社会は受け入れ、人々は実践してゆくことが出来るからです。

これからの時代、次の社会のモデル、どのようなシステムになればいいだろうかと考えるのであれば、気付かない間に出来上がった今の社会に順応使用とする意識と感情を白紙にして、全くの新地に建物を建てるような状態に意識や気持ちが解放されていなければ、本物のシステムをイメージしてゆくことは難しいでしょう。

しかし、もしそれが可能であれば、やがて永遠に近い生きる価値を人々が感じられ謳歌できる社会がここに誕生すると思います。

お金を基準として自分と自分以外の『他』を区別するという思考習慣。たぶんこれが現代社会のあらゆる問題の根本の原因でしょう。

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