三次元にて自分が創り出す体験のしくみ⑨

「三次元にて自分が創り出す体験のしくみ」 おまけ

もし、神という存在が居て、この三次元の世界がその神によって創造されたとすると、神がこの三次元の世界をどの様な構造にして、どういった仕組みで成り立たせようかと思い描いた描いた青写真には、神の仕組んだ皮肉とロマンがたっぷりと盛り込まれていた様に思えます。

今まで書いてきた「三次元にて自分が創り出す体験のしくみ」を生活の中で自分の体験を通じて、肌で感じられるようになってくると、多くの場合、それは、シンクロニシティと最近よく言われるようになった偶然の一致や繰り返しになるかと思いますが、ヒトの肉体をまとったこの地上の生活では、『自己の認識』が非常にたやすいということに気づいてくると思います。

自己の認識とは、内面的に見た自分と周りから見られている自分に大きく分かれてくると思います。より専門的な言葉で細かく見てゆくならば、「ジョハリの四つの窓」などが分かりやすいでしょう。

【ジョハリの心の四つの窓】
自分とは?
 ・自分も知っていて他人もよく知っている自分=開かれた窓 (open self)
 ・他人は知っているが、自分は知らない自分=見えない窓 (blind self)
 ・自分はよく知っているが、他人は知らない自分=隠された窓 (hidden self)
 ・自分も他人も知らない自分=未知の窓 (unknown self)

自分というものが何かを認識するためには、少なくともこの四つは最低見ておかなければ見えないものといえます。

しかし、この自分が見ている自分と他人から見ている自分というのは、実は構造的には全く同じなのです。

分かりやすい様に、全体を100として、その中の自分が1。

自分:他人=1:99とします。

自分が自分を認識するために必要な条件とは何かということですが、それは、「他」の99です。1の自分を認識するためには、他である99がなければ、自分が存在しているかすら認識出来ないのです。

ヘレンケラーは、幼年期に目の耳の機能を失いました。映画で見て覚えていることですので、実際の伝記にそった内容かは不確かですが、ヘレンは、まだ、目と耳が聞こえた時に覚えた「水/Water」という単語を障害を持った後で、水に触れている時に思いだし、「モノには名前があるんだ」と云うことが解り、彼女のその後の人生が大きく変わりました。

大変な努力の結果、人が話すときの舌の動きと息の出し方を真似て言葉をしゃべることすら覚えていった様です。

しかし、もし、ヘレンが、生まれたときから、光や音だけでなく、臭いも、暑さ寒さを感じる皮膚感覚も、甘いや辛い、のどが渇いたと感じる味覚も持ち合わせていなかったらどうでしょうか?

生まれてきたとしても、感じるのは音も光も暑さ寒さも何もない永遠の静寂と闇の世界です。その中で、自分の思考と心だけが動いています。五感覚が無いと云うことは、肉体を通じて得られる情報が全くない状態です。でも、自分は存在しているのです。自分はここに居て在って、意識があるので、自分=1なのです。

人が五感覚を通じて認識しているのは、自分以外の「他=99」の世界です。

人は、五感覚を通じて、自分以外の世界の「何か」に触れ、感じ、見て、それの対照的な存在である「自己/自分」を認識しているのです。

自分の認識、または、自分が見る自分とは、実は、他に写して反射的に得られた相対的な視点から見た自分なのです。つまり、1が99に反射させて認識する1と99がそのまま見ている1。これらは共に、99が無けれは、1の認識が成り立たないと云うところで共通しています。

構造的には、個を感じさせるために、その個以外の残り全ての他が、その個が個として感じられるのに必要な全てをその個の条件に100%合わせてつくり出し見せてあげているのです。1が1という個を認識出来るために、残り99が、1の存在を感じさせるための全てを無条件で与えているという世界です。つまり、99の行為は、無条件の愛そのものといえます。自分の見ている世界の全てが自分の写し鏡ということになります。

個を認識することが出来るようになると、ある意味利己主義という立場や感情を感じたり体験することが出来ます。また、個人主義で自分だけで生きているという価値観が生まれます。これは、人(他)と自分を分離した分離感です。この分離感から、1:99という、99の存在を全く無視した「自分だけ」という世界を現代ではあちこちで人々は創造しています。

この三次元の世界は、個の存在を成立させることが出来る「自分だけ」という世界を体験出来る大変貴重な世界ですが、実は、その自分だけを体験するためには、自分以外の「他」が総力を結集して成り立たせてあげているという、利己主義者に対してはある意味皮肉たっぷりの世界がこの三次元の世界なのです。

個は、全ての側(他)の愛が無ければ自分の認識すら出来ないのです。

また、個人主義となり、個としての認識を極めることも非常に大切な行為で、ここから多くの事を学ぶことが出来ます。

人は、個を体験するために肉体を持って三次元に出てきて、個を堪能する体験を積んでゆく訳ですが、結局は、他の中に抱きかかえられて、他の存在の中に埋もれて幻想的に存在しているのが、自分=個の世界といえます。

これは、肉体を離れた世界で、ワンネスに入っていった状態と本質的には変わらないのです。

肉体を持つことによって、ワンネスから分離したような錯覚をもち、一応の分離度100%の認識が得られるのが、この三次元の世界といえます。

神は奥深く、ユニークで、皮肉たっぷりの存在なのでしょう。

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