因果律について

「原因」と「結果」の法則 という古い本が、何度も再販となって最近もよく売れている様です。

因果応報とか、前世の因縁とか、別な言い方もあります。

自分たちが生きている世界での社会常識の範囲内では、例えば、人に迷惑をかけたりすると怒られて、そして悪いと感じると謝ります。また、法律を犯したり犯罪を行えば、法律に則って裁かれます。これらも自分の行った行為に対する相応の結果が生じる事になるので、因果律の一つともいえます。

でも、生きている世界と死後の世界の関係の中で起こる因果律は、上に書いた様な内容とは少し違うかもしれません。よく、昔(前世)で悪いことをやったので、(今世では)それを償うまで悪いことが自然発生的に起きてくるとか、前世の因縁を受けて不幸が続くから、何とかそれらの因縁を断ち切りたいとかいうような考えや理屈は、既にテレビやマンガなどで紹介されてますので、おなじみな感覚と思います。

これらも、因果律という広い範囲の事象のほんの一面をある一つの角度から捉えた場合には成り立つのですが、この角度からの解釈には、「変えられぬ運命」「悲観的な被害者意識」という感情が、大なり小なりつきまとっています。

それでは、広い範囲で因果律を見た場合にはどうなるかというと、因果律の根幹には、自分自身の意志と選択が大きく関わっています。

シンプルな例を上げて説明すると、自分のもの凄く大切は人、例えば、恋人、親、子供、友人、ペットなど、誰もが大切と思える人が一人はいると思います。その大切な人に対して、自分にとってその人の事が最も大切と思える時期に、自分の大きなミスにより、その人に取り返しの付かない迷惑や損害を与えてしまったとすると、自分の心はどう動くでしょうか?悲しみ、後悔、お詫び、などなど、何とかしてその失敗を埋めるだけの事をしたいと自分の心は大きく動きます。結果的に何をするか、誰に対してかは、相手の当人であったり、相手の家族、関係者、また社会全体に対してなど、自分自身が納得するものとなりますが、因果律の根源になるのが、この時に大きく動いた自分の心、意識なのです。

例えでは、自分の失敗に対する償いという心の大きな動きのことを言いましたが、怒りや恨み、後悔による心の大きな動きの場合もあります。そのように大きく動いた自分の心や意識、感情の存在が、自分が生まれてくるときに、どこの国、地域、家族、親元に生まれるかを決めるときの大きな要因になります。

また、因果律は、死後の世界を知らない世界とその世界に住む人々には、大変効果的に、また、強く働きます。

生死の真実を知り、肉体を持った世界と肉体を脱いで一般的に霊体や魂と言われる存在になった死語の状態の違いや関係が常識となると、因果律として発生するべき一部の現象は、既に本人やまたその社会が既に理解し認識しているために発生する必要がなくなるという風になります。

佛教で、因果律のことを伝え、サトリを求める人たちに因果律の理解を促していたことも
そういう意味からすれば、価値があったのだろうと思います。

Leave a Comment

CAPTCHA